使徒の働き8章1節~25節
先週は、初代教会最初の殉教者となったステパノが、議会で放っていた輝きを最期まで失わなかった点に注目した。
ⅰ 7章の説教に反発して、54節 「はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした」議員たちを目の前に、55節~56節 「天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。『 見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。 』 」と臆せずに語ったステパノ。
ⅱ このステパノに激怒し、法に則( のっと )って裁判する立場を見失って野獣化した議員たちの為に、59節~60節 「主イエスよ。私の霊をお受けください。・・・この罪を彼らに負わせないでください。」と祈ったステパノ。
野蛮な醜態を曝す議員たちとは対照的に、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。 ルカの福音書 23章34節」と祈られた、十字架上の主に似せられている輝きである。
ⅲ 58節 「彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。」とあるが、迫害者サウロ、この青年こそ、後の使徒パウロ。迫害の意に燃える彼の生涯に、間もなく方向転換をもたらすことになる程の輝きである。
※ ステパノ殉教の目撃者として 《 最も身近でステパノの最期の祈りを聞き、彼の輝きを目の当たりにした 》 サウロの名前が明記されているところに、恵み深い聖霊の慮( おもんぱか )りを見て感謝した。
今朝は、ステパノ殉教後の教会に注目したい。
今朝お読みした記事では、先ず、ステパノを殺害した ※ 「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり」と、この日を契機に、議会当局の攻撃が加速されて行く様子を伝えている( 1節c )。その為、教会は甚大な痛手、大きな損失を被ることになり、2節 「彼のために非常に悲しんだ」と。
ところが 《 教会はむしろ、宣教の新たな局面を迎えることになった 》 という姿に、である。
教会は、撲滅を謀って迫害を過激化する議会によって、更に苦しめられることになる。打たれた教会はエルサレムに留まることが出来なくなり、散ることを余儀なくされた。
1節d 「使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされ」、4節 「他方、散らされた人たち」、11章19節~20節 「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は・・・」とある。
こうした迫害の中、教会はどうしたのか ?
① 1節d 「使徒たち以外の者」が皆、散らされたこと。
ここに、 《 使徒たちの思いには未だ、エルサレムから出ようとの積極的な意思がなかったことが 》 暗示されている。もし迫害がなかったならば、エルサレムでの働きに限定されていたのが、ここで初めて宣教が外に向けられることに。
「使徒たち以外の者」とは ? 教会内で彼らと深い係わりのあったギリシヤ語を話す少数派のヘレニストである。〈 連講14 〉では、使徒を補佐する為に選ばれた七人は皆、ギリシヤ名を持つヘレニストであったと学んだが、5節から登場する「ピリポ」も、ステパノの次にその名を連ねる器( 6章5節 )だった。
使徒たちはエルサレムに留まることが出来たことから、攻撃はステパノに関係する人々に限られていたと思われる。
確かに主の約束は、「地の果てにまで」であった。主のそのビジョンを、使徒たちが肉的な排他的意識から無視していたとは考えられない。聖霊に満たされていたとは言え、唯、そこまでの理解に及んでいなかっただけのことで、咎められるべきことではない。教会の指導者は教会の頭である主ご自身であり、主が意図される事柄を実行すべく、聖霊があらゆる状況を益と変えて働かれるところに従った。
ヘレニストに限定されたこの迫害を、むしろ聖霊がご自身の手中に収め、生粋のユダヤ人よりも開放的なギリシヤ文化を吸収して育ったヘレニストの気質を用いて、福音をより広範囲に運ぶように導かれたのだ。遂に、エルサレムに集中しがちだった傾向性が打破されることに !!
その後、ヘレニストによる宣教によって ※ 8節 「その町に大きな喜びが起こった」際、エルサレムの教会は早速、14節 「ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わし」ている。25節 「使徒たちはおごそかにあかしをし、また主のことばを語って後、エルサレムへの帰途につき、サマリヤ人の多くの村でも福音を宣べ伝えた」ところに 《 使徒たちの従順 》 を見る。
② 2節 「ステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ」こと。
議会は、ステパノを〈 神を冒涜する者 〉、犯罪人として処刑した。
犯罪人の埋葬は、明らかに議会の判決への抗議と見做され、葬る者たちにとっては自らの身に危険を招き兼ねない行為でもあった。しかし彼らは、詳訳 「ステパノを運び出して葬り、彼のために大いに嘆いた」とは、正々堂々とした信仰告白ではないか !!
③ 4節 「散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた」こと。
11章19節~20節 「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。」とある。
迫害者の追っ手に恐れて逃げ出したのではない。
エルサレムから追放された形を取らざるを得なくされた時にも気落ちすることなく、この事態を宣教の好機と捉えて積極的に「巡り歩いた」というのだ。
何と実に、主の ※ 1章8節 「・・・地の果てにまで、わたしの証人となります。」との約束の成就が。教会にとっての最悪の事態は、地の果てに向けての宣教に道を備えることになった !
※ 聖霊は圧倒的な指揮をお取りになられながら、教会に働かれるお方。唯満たされて、従う者でありたい。
先週は、初代教会最初の殉教者となったステパノが、議会で放っていた輝きを最期まで失わなかった点に注目した。
ⅰ 7章の説教に反発して、54節 「はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした」議員たちを目の前に、55節~56節 「天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。『 見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。 』 」と臆せずに語ったステパノ。
ⅱ このステパノに激怒し、法に則( のっと )って裁判する立場を見失って野獣化した議員たちの為に、59節~60節 「主イエスよ。私の霊をお受けください。・・・この罪を彼らに負わせないでください。」と祈ったステパノ。
野蛮な醜態を曝す議員たちとは対照的に、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。 ルカの福音書 23章34節」と祈られた、十字架上の主に似せられている輝きである。
ⅲ 58節 「彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。」とあるが、迫害者サウロ、この青年こそ、後の使徒パウロ。迫害の意に燃える彼の生涯に、間もなく方向転換をもたらすことになる程の輝きである。
※ ステパノ殉教の目撃者として 《 最も身近でステパノの最期の祈りを聞き、彼の輝きを目の当たりにした 》 サウロの名前が明記されているところに、恵み深い聖霊の慮( おもんぱか )りを見て感謝した。
今朝は、ステパノ殉教後の教会に注目したい。
今朝お読みした記事では、先ず、ステパノを殺害した ※ 「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり」と、この日を契機に、議会当局の攻撃が加速されて行く様子を伝えている( 1節c )。その為、教会は甚大な痛手、大きな損失を被ることになり、2節 「彼のために非常に悲しんだ」と。
ところが 《 教会はむしろ、宣教の新たな局面を迎えることになった 》 という姿に、である。
教会は、撲滅を謀って迫害を過激化する議会によって、更に苦しめられることになる。打たれた教会はエルサレムに留まることが出来なくなり、散ることを余儀なくされた。
1節d 「使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされ」、4節 「他方、散らされた人たち」、11章19節~20節 「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は・・・」とある。
こうした迫害の中、教会はどうしたのか ?
① 1節d 「使徒たち以外の者」が皆、散らされたこと。
ここに、 《 使徒たちの思いには未だ、エルサレムから出ようとの積極的な意思がなかったことが 》 暗示されている。もし迫害がなかったならば、エルサレムでの働きに限定されていたのが、ここで初めて宣教が外に向けられることに。
「使徒たち以外の者」とは ? 教会内で彼らと深い係わりのあったギリシヤ語を話す少数派のヘレニストである。〈 連講14 〉では、使徒を補佐する為に選ばれた七人は皆、ギリシヤ名を持つヘレニストであったと学んだが、5節から登場する「ピリポ」も、ステパノの次にその名を連ねる器( 6章5節 )だった。
使徒たちはエルサレムに留まることが出来たことから、攻撃はステパノに関係する人々に限られていたと思われる。
確かに主の約束は、「地の果てにまで」であった。主のそのビジョンを、使徒たちが肉的な排他的意識から無視していたとは考えられない。聖霊に満たされていたとは言え、唯、そこまでの理解に及んでいなかっただけのことで、咎められるべきことではない。教会の指導者は教会の頭である主ご自身であり、主が意図される事柄を実行すべく、聖霊があらゆる状況を益と変えて働かれるところに従った。
ヘレニストに限定されたこの迫害を、むしろ聖霊がご自身の手中に収め、生粋のユダヤ人よりも開放的なギリシヤ文化を吸収して育ったヘレニストの気質を用いて、福音をより広範囲に運ぶように導かれたのだ。遂に、エルサレムに集中しがちだった傾向性が打破されることに !!
その後、ヘレニストによる宣教によって ※ 8節 「その町に大きな喜びが起こった」際、エルサレムの教会は早速、14節 「ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わし」ている。25節 「使徒たちはおごそかにあかしをし、また主のことばを語って後、エルサレムへの帰途につき、サマリヤ人の多くの村でも福音を宣べ伝えた」ところに 《 使徒たちの従順 》 を見る。
② 2節 「ステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ」こと。
議会は、ステパノを〈 神を冒涜する者 〉、犯罪人として処刑した。
犯罪人の埋葬は、明らかに議会の判決への抗議と見做され、葬る者たちにとっては自らの身に危険を招き兼ねない行為でもあった。しかし彼らは、詳訳 「ステパノを運び出して葬り、彼のために大いに嘆いた」とは、正々堂々とした信仰告白ではないか !!
③ 4節 「散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた」こと。
11章19節~20節 「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。」とある。
迫害者の追っ手に恐れて逃げ出したのではない。
エルサレムから追放された形を取らざるを得なくされた時にも気落ちすることなく、この事態を宣教の好機と捉えて積極的に「巡り歩いた」というのだ。
何と実に、主の ※ 1章8節 「・・・地の果てにまで、わたしの証人となります。」との約束の成就が。教会にとっての最悪の事態は、地の果てに向けての宣教に道を備えることになった !
※ 聖霊は圧倒的な指揮をお取りになられながら、教会に働かれるお方。唯満たされて、従う者でありたい。
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