聖日礼拝 『使徒の働き』 より 16


使徒の働き7章51節~60節

先週は、聖霊が十二使徒を補佐する為に選出されたステパノを、どのように導かれたのかに焦点を合わせて学んだ。

ⅰ 同族への宣教の重荷を与えて、彼を遣わされた。
6章9節の「リベルテン」とは、自由を得た者を意味する。B.C.63年、ローマのポンペイウス将軍がユダヤを征服した際、ローマに連行されて奴隷として売られたが、その解放されてユダヤに帰った人々。彼らは「リベルテンの会堂」とあるように、エルサレムで自分たちのユダヤ教の会堂を建てていた。聖霊は、先ず私たちをも、身近な人々に遣わしておられるとの自覚を持つべきであること。

ⅱ その働きを祝福し、初代教会の宣教に画期的な突破口を開く契機とされた。
聖霊に従ったステパノによる身近な隣人への誠実な伝道は、それに対抗しようとする人々によって迫害を余儀なくされ、遂には、11節~14節 「議会」に連行されることになった。しかし聖霊は、この機会を用いて、エルサレムから始まった福音を 《 エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで 》 と運び出し、宣教の拡大の転機とされた。
聖霊はその議会でステパノを輝かせ【15節】、彼らの訴え【13節 「この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。」】に対して理路整然とした弁明【7章の説教】をさせ、遂には、7章51節~53節で、大胆に彼らの罪を糾弾させた。

※  “ 殉教者は教会の種 ” とは至言 ! このような殉教者によって宣教を継続しておられる聖霊の働きに感謝したい、と。


今朝は 《 最初の殉教者となったステパノの最期 》 に注目したい。特筆すべき点は、議会において、6章15節 「御使いの顔のように見えた」ステパノのその輝きが最期まで失われなかったことである。舞台が、議会から ※ 58節 「町の外に」移され、彼は「石で打ち殺」されたが、その輝きは増すばかりで、遂に主に似せられるに至ったのである。
その輝きは、ステパノを妬む議会の暴挙によって、より鮮明にされて行くのが分かる。

① 55節~56節 「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。『 見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。 』 」とあるここに。

この「しかし」とは、裁判の席で弁明の機会が与えられて語った説教に反発した指導者が、54節 「 ※ はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした」のを受けてのこと。指導者のこの反応は、ペテロの説教に反発して、5章33節 「 ※ 怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った」のと、同じものだった。実際ステパノが目にしているのは、獲物に飢える野獣と化したインテリ議員の狂気の沙汰である。
ところが、「聖霊に満たされていたステパノは・・・」と、目の前にいる彼らに怯えて気を失うことなく、主を見るようにされている。しかも、聖父の右に着座しておられる筈なのに、立ち上がっておられるお方として主を ! 更には、この事実を臆せずに語るようにされているステパノ。
ピリピ人への手紙 1章28節 「どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。これは神から出たこと【 ※ リビングバイブル訳 : 「神様が共にいて、永遠のいのちを与えてくださることの、確かな証拠】です。」とは、このステパノにおいても現実となっている。
私たちにおいては、ここまでの情景は想定し得ないとしても、信仰を相容れないとして排除される場合、果たして、ステパノのこのスピリットは、どこまでだろうか ?

② 59節~60節 「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『 主イエスよ。私の霊をお受けください。 』 そして、・・・大声でこう叫んだ。『 主よ。この罪を彼らに負わせないでください。 』 こう言って、眠りについた。」とあるここに。

実際、議会にはステパノを死刑にする権限がなかったにも拘らず、実行されたのだ。議会はエルサレムの最高機関として、ユダヤの法律【民事、犯罪、道徳、宗教問題】を取り仕切り、権威を行使することは無制限に許されていたが、あくまでも、死刑以外である。死刑執行はローマの権限の下に置かれていたからである。それと知りながら、議会はステパノを殺害したことになる。司法機関でもある議会は、自ら法に悖( もと )る犯罪を公然と行ったのである。
ステパノに向かって歯ぎしりし、殺到した人々とは、一般人ではなく、議会の錚々( そうそう )たる指導者の面々なのだ。自らの本分を見失った哀れな罪人として、その正体が暴露された。
彼らをしてこうまで分別を失わせたのは、ステパノによる罪の指摘に謙ろうとしなかった頑なさである。ステパノからの ※ 51節~53節 「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです・・・」に激怒したからである。
聖霊の指摘に逆らう時、人は人としての持っているべき尊厳を失い、動物的本能で生きる者となる、その典型である。
彼らの醜態とは対照的に、ステパノは益々落ち着き、祈りに導かれている。何を祈ったのか ? 先ずは主への自らの明け渡し。そして、石を投げつける人々の救いの執り成しである。この祈りによって、彼がどれだけ主に似せられていたかが分かる。十字架上における、主の、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。 ルカの福音書 23章34節」との祈りに同じだからである。

③ 58節 「彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。」とあるここに。

この青年こそ、後の使徒パウロであるが、ステパノの輝きは、パウロの生涯に方向転換をもたらすことになるのだ。


※ ステパノ殉教の目撃者として 《 最も身近でステパノの最期の祈りを聞き、彼の輝きを目の当たりにした 》 人物としてサウロが明記されたことに、恵み深い聖霊の慮( おもんぱか )りを見て感謝したい。

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