聖日礼拝 『使徒の働き』 より 13


使徒の働き5章12節~42節

先聖日のクリスマス礼拝では、コリント人への手紙 第二 8章9節から、「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。」に 《 主のご降誕の意義を思い巡らせて 》 礼拝を。
今朝は再び 『 使徒の働き 』 4章32節~37節の ※ 恵まれた教会内で起こった 《 アナニヤ & サッピラ事件 》 に触れて、続く記事の学びに。

ⅰ どれ恵まれた教会であっても、罪人の集まりである限り、肉的な何事かが起こる可能性を持っているとの警鐘を。
 5章1節~2節では、バルナバを妬んだアナニヤとサッピラが、捧げ物をもって虚栄心を満たそうとする様子が描かれている。

ⅱ 教会は、そうした肉を聖霊によって容赦なく暴き、厳格に扱い、正す場所であるとの通告を。
 厳粛にも ※ 5章5節~10節と、裁かれることになった【マタイの福音書 12章31節~32節の主の忠告通りの厳格な扱いである】。

ⅲ そして、このような恥ずべき肉を厳格に扱う教会には、5節 「これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。」/11節 「教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。」との結果が与えられたことから、聖霊が圧倒的な干渉をもって教会を守られるとの激励を。
 迫害下にある教会にとって痛手となる可能性もあったが、むしろ聖霊の干渉によって、汚点とならずに前進して行くことに。

※ 聖霊によって明るみにされる肉的性質をしっかり扱って頂くことによってのみ、真の教会建設、宣教があることを弁( わきま )え、扱われることを感謝する者でありたい、と。


今朝お読みした※12節~16節は、捕らえられたペテロとヨハネが解放されて後、仲間と一緒に祈った祈り【4章24節~30節】の結果と考えられるが、このことによって次の迫害を招くことになった記事に学びます。
17節~18節では再び、「大祭司とその仲間たち全部、すなわちサドカイ派の者はみな、ねたみに燃えて立ち上がり、使徒たちを捕らえ、留置場に入れた」のであるが、ここでも福音宣教は阻止されずに進められて行く。何がそうさせたのか ? 二つの要因に留意したい。

① 二つの「ところが」に神の直接的干渉を見る。

a. 主の使いの派遣 :
19節~10節 「ところが、夜、主の使いが牢の戸を開き、彼らを連れ出し、 『 行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい 』 と言った。」  ⇒ この主の使いの出現は、後、12章でペテロが捕らえられ、明日には死刑執行というその前夜にもあった。こうした天的干渉は、決してその当時だけのことではなく、今日的な出来事として、現実に主の御名の必要に応じて起こっている。

b. 律法学者ガマリエルの登場 :
34節~39節 「ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。それから、議員たちに向かってこう言った。 『 イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください・・・ 』 」と。
このガマリエルの介入を主は用いられた。もし彼の発言がなかったならば、29節~32節の「ペテロをはじめ使徒たち」の弁明を聞いた議会が ※ 33節 「怒り狂い」 ※ 直訳 「( 心を )のこぎりで引き切る」とある限り、即刻、使徒たちを処刑にしたのではないかと考えられる。
しかし彼の発言は極めて冷静沈着であり、その場にいた皆を、納得させるだけの力があった。34節 「すべての人に尊敬されている」という霊的基盤が築かれていたことに、その秘訣を見る。
36節~37節で二人の例を取り上げて説明しつつ、38節~39節 「もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」との助言を与えているが、神を恐れ、神の摂理に委ねる信仰が培われている器ならではの見解では ?
議会は一転、説得されて従わざるを得なくされたが、彼らの腹の虫が治まることはなく、40節 「使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。」と、精一杯うっぷんを晴らしている。

ここで、学んでおきたい。
実はこの律法学者ガマリエルという人物は、パウロの指導者だったのである。福音の使者となったパウロが迫害を受けて捕らえられ、そこで 《 弁明した時の22章3節~6節の言葉 》 によると、同 3節 「・・・ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日のみなさんと同じように、神に対して熱心な者でした・・・」とあり、ガマリエルの門下生だったことが分かる。
この点から、パウロがかつて迫害者だったことを考えると ?
この時点では指導者に従ったものの、最終的には支持する立場にはない ? ガマリエルの門下生として優秀な成績を収めてはいたものの、師の霊的面にはおぼつかない、未熟な若き時のパウロを伺わせる熱血漢振りでは !?
しかし主はこのサウロ( 後のパウロ )を捕らえられたのだ ! ガマリエルの39節の懸念は的中し、サウロは主から ※ 9章4節 「なぜわたしを迫害するのか」との声を聞くことに。この意味でも、彼の回心後の悔恨の情は並々ではなかったことが分かる。

② 唯、従うことだけに徹する使徒たちの従順に。

何という見事な従順が !
21節 「彼らはこれを聞くと、夜明けごろ宮にはいって教え始めた。」 ⇒ 25節 「大変です・・・」と言わせた従順/28節 「何ということだ・・・」と憤る議会に対して、29節~32節 「人に従うより、神に従うべきです。私たちの先祖の神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです・・・」と臆することなく弁明し、遂に、議会をして ※ 33節 「怒り狂い、使徒たちを殺そうと計」らせた彼らの従順/41節 「そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った」従順/42節 「そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた」従順である。


※ これは、私たちへの挑戦ではないでしょうか ! 主の使徒たちへの真実を確信し、使徒たちの主への従順に倣いたい !

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