2013年07月09日

聖日礼拝 『マタイの福音書』 より 17


マタイの福音書5章31節〜32節

先聖日は、《 21節〜48節で取り上げられている6つの「・・・と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。」の 》 第二番目の27節 「姦淫してはならない。」の聖句に注目致しました。

@ 「姦淫してはならない。」とある主の解釈について :
そもそも「姦淫」とは、男女が倫理に反して肉体関係を持つこと、結婚関係以外で肉体関係を持つことを意味するが、近年を含む今日までの人間の歴史を 《 聖書のこの光で見る限り 》 絶望的なまでに違反が平然となされ続けている。
ところが人殺しの問題同様、行為としての違反に留まらず、「心の中で」の問題 に言及されておられるところに深刻さが。

    ・ 誘惑によって引き起こされる悪に関する思い。
    ・ 内心から起こる悪しき思い、情欲。

ここで取り扱われているのは、前者。誘惑を受けた時、誘惑を拒絶するのか、しないのか ? もし拒絶せずに優柔不断でいる時、行為に発展せずとも姦淫の罪となるの意。

A 「姦淫」への誘惑を受けた時、その時どうすべきか ?
29節〜30節 「もし、右の目が、・・・右の手があなたをつまずかせるなら、・・・捨ててしまいなさい。」と、自分にとって掛け替えのない、切り離すことの出来ないものと感じても、神の御心を損ねることになると分かった時点で、潔く拒絶して、永遠の命を獲得するために命懸けであるようにと。この拒絶する力は、神との絶えざる交わり、内住の聖霊による。

※ キャンベル・モルガン曰く “ 姦淫罪は、個人( の霊・魂・体の滅び )/家庭/社会/国家/人類/宇宙/神に対する罪である ” に留意したいと。


今朝は、31節〜32節 「・・・と言われています。しかし、わたしはあなたがたに言います。」と仰った三番目の 《 離婚の問題 》 に注目致します。この問題は、再度、19章3節〜9節で取り上げられていますが、山上の垂訓でのここでの説教に合わせて、今朝考えさせて頂きましょう。
5章31節 「 『 だれでも、妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ。』 と言われています。」との律法は、申命記 24章1節 現代訳 「結婚してから、妻の側の何かを理由に【性格的不一致、好き嫌い】、離婚したいと思うなら、必ず離婚状を書いて渡しなさい。【正規の手続きを義務付けることによって、男性の身勝手さを防ぐための指示】 」である。19章3節、パリサイ人たちがみもとにやって来て、「何か理由があれば、妻を離別することは律法にかなっているでしょうか。」と、「イエスを試みて」引用した箇所に同じである。
あたかも律法が、離婚を正当化しているかの様に伝えられているが、果たして ?


そこで 《 離婚についての主の見解について 》 学びたい。

@ そもそも、結婚を制定された神の意図ではないこと。

19章4節〜6節 「創造者は、初めから人を男と女に造って、『 それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。』 と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」と、まず聖書的結婚観がどのようなものであるかを諭された。
つまり要点は 《 あなたがたは、律法があたかも離婚を認めているかのように考えているかも知れないが、離婚は、結婚を制定された神の意図ではない 》 との主の明言である。
結婚関係が、互いの死によって裂かれるまで続くものであるとは、ローマ 7章2節〜3節の聖句で語られていること。また、マラキ 2章14節〜16節 「契約の妻であるのに。神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りが【彼らは肉体と霊において一体で】ある。・・・『 わたしは、離婚を憎む。』 とイスラエルの神、主は仰せられる。」とは聖書の見解。

A にも拘らず、律法で離婚が成立したとすれば、そこには理由があっての事。が、あくまでも例外的であること。

19章7節でパリサイ人が、「では、モーセはなぜ、離婚状を渡して妻を離別せよ、と命じたのですか。」と、イエスに質問して来た時のこと。
主は、彼らの「命じたのですか。」を、19章8節a-c 「・・・許したのです。」と訂正し、決して積極的に離婚を勧めているのではないと、強調された。と同時に、19章8節c 「・・・しかし、初めからそうだったのではありません。」と、極めて例外的であると言われたことで明らか。

《 例外的に認められる離婚の理由として・・・ 》

a. 19章8節 「モーセは、あなたがたの心がかたくな【頑固、強情、邪悪 ⇒ 現代訳: 罪深い人間は離婚できないことを口実に、妻を更にひどく扱い兼ねないことを予測して】なので」と。
このことは、明らかに男性の女性に対する横暴な扱いから女性を保護するための特例である。
以前からクローズアップされている夫の暴力・虐待によって苦しむ婦人たちのケースに該当する問題である。

b. 19章9節 「だれでも、不貞のためでなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。」、5章32節 「不貞以外の理由で妻を離別する者は」と。
明らかに、配偶者の性的不誠実・不道徳があったときに限られているということ。但しこの場合ですら 《 命じたのではなく、許可であり許容なのです 》 が該当する。
何故 ? ヨハネ 8章5節 「モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」に対する主のお答えは、同 7節 「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」だった。但し、11節 「わたしもあなたを罪に定めない。・・・今からは決して罪を犯してはなりません。」との、罪との 《 徹底的な悔い改めによる 》 決別が求められての事ではある。

B 最後に一つのことを確認しておきたい。

男性側の視点で話が展開しているので、恰も、離婚の決定権を男子が握っているかのようであるが、主の「あなたがたの心がかたくななので」との指摘は、当時の 《 女性の権利を横柄に扱う 》 男性の肉的傾向性を物語っているのでは ?


※ 聖書的結婚観にしっかり根差した信仰生活を心したい。



posted by luckyfachan at 21:53| Comment(1) | マタイの福音書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by luminox 時計 at 2013年08月03日 13:35
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