夕拝『詩篇』からの霊想〈149篇〉


「ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。1節」

本篇の賛美への勧めは、「主は御自分の民を喜び、貧しい人を救いの輝きで装われる。4節 新共同訳」 故に、「造り主にあって喜べ。・・・王にあって楽しめ。2節/御名を賛美せよ。・・・主にほめ歌を歌え。3節/高らかに歌え。5節b/神への称賛・・・があるように。6節a」である。

① 主の御業への賛美を。

御業の最たるものは、何と言っても「貧しい人を救いの輝きで装われる」ことであり、詩篇 103篇「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し・・・いやし・・・贖い、2節~5節」と《 罪の赦しから始まる霊的全行程における祝福──コリント 第二 3章18節 》である。

② 主の「御名 ── ご性質」への賛美を。

a. 「ご自分の民を愛し( 喜ぶ )」主。

この「民を」とは、貧しい ── 「価なしに義と認められ・・ ローマ 3章24節」た者をであり、一方的に恵む慈しみ深いお方。

b. 「貧しい者を」赦す主。

「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。ヤコブ 4章6節」とある。事実、あの悪王マナセをすら 「 ・・・大いにへりくだって、神に祈った・・・ 歴代誌 第二 33章12節~13節」時、十字架に掛けられた犯罪人を、主を否んだペテロを、主は赦された。過去の一切に固執せず、完全に罪を葬られるお方。

c. 「国々に報復し、諸国の民を懲らしめ、王たちを鎖につなぎ、君侯の枷をはめ、定められた裁きをする。7節~9節a 新共同訳」公正を行わせる義なる主。

これらの句にそれぞれ「それは・・・ため」とあるが、主がご自身で公正を行われるため、「聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。彼らの口には、神への称賛、彼らの手には、もろ刃の剣があるように。5節~6節」と《 主を信頼するところから来る賛美と、御霊の剣・みことばを握る生活 》を勧めておられることには留意を。


※ この賛美への勧めに生きる者でありたい。


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