夕拝『詩篇』からの霊想〈148篇〉


「彼らに主の名をほめたたえさせよ。 5節、13節」

この「彼らに」とは、1節以下の「天において」とある 「すべての御使い、主の万軍【2節】/日、月、星【3節】/天の天、天の上にある水【雲・4節】」 にであり、7節以下の「地において」とある 「海の巨獣、すべての淵【7節】/火、雹、雪、煙、あらし【8節】/山々、丘、実のなる木、杉【9節】、獣、家畜、はうもの、翼のある鳥【10節】/地の王、すべての国民、君主、さばきづかさ【11節】/若い男、若い女、年老いた者と幼い者【12節】」 にである。

バイブルナビには《 すべての被造物は、壮麗な交響曲、または主への賛美の歌を共に捧げるための、調和の取れた多くのパートからなる聖歌隊のようである。それぞれの部分( 独立しているが、全体の一部である )が、賛美の渦に巻き込まれ、運ばれて行く 》とあるが、これはうがった表現ではないか !

それでは ?

① 何故「彼ら」をして、「ほめたたえさせ」なければならないのか ?

a. 「主が命じて、彼らが造られた。5節b」、即ち、主が「万物の存在の目的であり、また原因でもある方・・・へブル2章10節」である以上、主は《 当然、万物から礼拝されるべきお方──黙示録4章11節 》だから。

b. にも拘らず、被造物は《 本来のこの存在目的 》を見失い、創造主への賛美どころではない「被造物自体も、滅びの束縛・・・ ローマ8章21節~22節」状態にあるから。

② 「ほめたたえさせよ」との命に従うのは、誰なのか ?

主の聖徒たち、主の近くにいる民、イスラエルの子ら ・・・14節b」ではないか。それは、「主はご自分の民の角を高く上げて【力を顕示して】くださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。14節a 新共同訳」とあるように、主の血によって経験した力【贖い】の故に、聖徒には、その任務【宣教】が課せられているからである( ピリピ2章10節~11節 )。


※ 主は、被造物から賛美されるべきお方 !


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