夕拝『詩篇』からの霊想〈147篇〉


「ハレルヤ。まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い。まことに楽しく、賛美は麗しい。1節/感謝をもって主に歌え。立琴でわれらの神にほめ歌を歌え。7節/エルサレムよ。主をほめ歌え。シオンよ。あなたの神をほめたたえよ。12節」

詩人は本篇で「主をほめ歌え」と《 こうして三度、主への賛美の勧めを織り交ぜながら 》民に呼び掛けている。それは・・・

①「主は心の打ち砕かれた者をいやし 彼らの傷を包む。3節/主は心の貧しい者をささえ、6節a」るお方だから。

2節の「神様はエルサレムの町を建て直し、捕虜として連れ去られた人々を返してくださいます。 リビングバイブル訳」が、バビロン捕囚の出来事に言及していることからして、この「心の打ち砕かれた者、貧しい者」とは、「 『 ・・火から取り出した燃えさしではないか。』 ヨシュアは、よごれた服を着て、御使いの前に立っていた。ゼカリヤ3章2節~3節」とある、主のお扱いによって砕かれた民のことである。バビロン捕囚は、不服従の民を正し、今一度、神の民としての相応しさに導くための主のお扱いだった。

主は、過去に囚われずに《 癒し、包み、支える 》ことを喜ぶ愛のお方なのだ。

②「神は雲で天をおおい、地のために雨を備え、また、山々に草を生えさせ、獣に、また、鳴く烏の子に食物を与える方。8節~9節」だから。

この事実を踏まえる者は、様々な試みの中で「主を恐れる者/御恵みを待ち望む者・・・11節」となって「主は好まれ・・」る。何故なら「神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。10節」からだ。

③「主はヤコブには、みことばを、イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。19節」お方だから。

この事は、「主は、どんな国々にも、このようには、なさらなかった。20節」とあるように、ご自身の民に対する特別な取り扱い【特権】を意味する。


※主への信頼を新たに、主を賛美したい。


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