「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。1節」
本篇の繰り返し捧げられている「主に感謝せよ。・・・その恵みはとこしえまで。」との賛美は、主を《 創造主、救い主である神 》とお認めする者の信仰告白である。
《 創造主である神 》を信じる信仰者は・・・
①「神の神であられる方に感謝せよ。2節/主の主であられる方に感謝せよ。3節」と、誰が自らを神として名乗り出ようが、誰が何を神として立てて来ようが、主こそ〈 唯一の神 〉として生きる。
→ダニエル書の三青年が〈 バビロン王によって自らへの礼拝を求められた時に、「しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。ダニエル3章18節」 と 〉断固とした姿勢で対応した信仰にその模範を見る。
イザヤが「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方・・・ イザヤ57章15節」と呼ぶ方で、絶対的服従を要求出来る唯一のお方との意味を持つ。
②「ただひとり、大いなる不思議を行われる方に。4節/英知をもって天を造られた方に。5節」と、四面楚歌にあっても、主こそ〈 信頼すべき神 〉として生きる。
《 救い主である神 》を信じる信仰者は・・・
①「エジプトの初子を打たれた方に。・・・10節~15節」と、出エジプトの出来事、即ち〈 救いの恵み 〉に感じて生きる。
②「荒野で御民を導かれた方に。16節」と、不信仰を重ねる民にもご自身の真実を惜しまず証しされた方の〈 憐れみを忘れずに 〉生きる。
③「大いなる王たちを打たれた方に。・・・17節~22節」と、ヨルダン渡河によるカナン入国を許し、遂に〈 アブラハムへの約束(ガラテヤ3章14節)を果たされた主への感謝に 〉生きる。
※「主は私たちが卑しめられたとき、私たちを御心に留められた。23節」 ことによる【今】と感謝して、詩人同様主を賛美したい。
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