「あなたのみことばは、この地上の旅人である私には、心の歌の原動力です。 54節 現代訳」
作者の〈 旅人として日々 〉味わう「悩み・・・50節」が、「高ぶる者どもは、ひどく私をあざけりました。51節/あなたのみおしえを捨てる悪者どものために、激しい怒りが私を捕らえます。53節」と、その直接的な問題がどのようなものであれ、その苦境の直中で〈 みことばこそが、萎えやすい心に歌をもたらす原動力 〉との告白に至っていることは、何という霊的祝福 !
作者が《 みことばをどのように理解していることによるのか 》 に、告白の鍵がある。
①「私に希望を与えてくださったみことばを、49節現代訳/みことばは私を生かし(あなたの約束が私の命を新しく─現代訳)50節」し、「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ・・詩篇19篇7節」る経験に導くものであるとの理解。
②「どうか、あなたのしもべへのみことばを思い出してください。49節」と、みことばは〈 その成就に際して 〉主に期待する真面目さ・真剣さを求めているとの理解。
イザヤ62章6節の「主に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない」に見られる通り、「いつでも祈るべきであり、失望してはならない・・・ルカ18章1節/夜昼神を呼び求めている選民・・・同7節」である。
③「あなたのみことばに従うことが、私の生活になりました。 56節現代訳」と、みことばは聞くことに終始させるものではなく、みことばを聞く者をして、生活させる力であるとの理解。
確かに作者は、「しかし私は、あなたのみおしえから それませんでした。51節b/主よ。一日が終わると、私はあなたに心を留め、あなたのみおしえを守ります。55節現代訳」と、みことばに密着している。
※この理解に立つ作者にとって、「みことば」が「私の慰め。・・・50節/慰めを得ました。52節」と言うのも、もっとも と頷けるのでは !
この記事へのコメント