夕拝『詩篇』からの霊想〈119篇⑥〉

ワウ 41節~48節
「主よ。あなたの恵みと、あなたの救いとが、みことばのとおりに、私にもたらされますように。41節」

「救い」とは、日々、光のうちを歩む者に容赦なく聖霊が明るみにする罪の事実からの〈 赦し&キヨメを意味する救い 〉であり、作者は大胆に、この「救い」は「恵み」によるものであること、即ち、「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。ローマ3章24節」との信仰的確信に基づいて「みことばのとおりに、私にもたらされますように」と祈っている。「そうすれば、私をそしる者に答えることが出来ます。42節現代訳」と、「そしる者」であるサタン【ゼカリヤ3章1節~2節】に対して勝利を得ることが出来るからであると。

作者は日々〈 救いの恵み 〉が自らの内に確信出来る〈 今であるのか 〉を吟味しながら、主の聖前に出ている。

彼のこうした姿勢の鍵を《 みことばをどのように考えているのかに見て 》学びたい。

①「私はあなたのことばに信頼していますから。42節c」に、みことばへの依り頼みを。→Ⅰテサロニケ2章13節

②「私は、あなたのさばきを待ち望んでいます・・・43節c/あなたの戒めを求めている・・・45節b」に、みことばへの期待を。

③「こうして私は、あなたのみおしえを いつも、とこしえまでも、守りましょう。44節」に、みことばへの明け渡しを。

④「私はまた、あなたのさとしを王たちの前で述べ、46節」に、みことばへの誇りを。

⑤「私は、あなたの仰せを喜びとします。それは私の愛するもの・・・47節/私の愛するあなたの仰せに手を差し伸べ、あなたのおきてに思いを潜め・・・48節」に、心を尽くして主を愛する愛の具現化を。


※こうした《 みことばと誠実に向き合う生活 》から「広やかに歩いて行く(自由に歩き回ることが出来る─現代訳)45節」生活が生まれ、自ずと〈 主の聖前での敬虔 〉が形作られると覚え、お互い自らを吟味したい。


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