夕拝『詩篇』からの霊想〈119篇⑤〉

へー 33節~40節
「主よ。あなたのおきての道を私に教えてください。そうすれば、私はそれを終わりまで守りましょう。33節」

作者の「あなたのおきての道を・・・教えてください。33節/与えて下さい。34節」とは、戒めを慕ってい・・・40節」る者の祈りであるが、その者の実際的な姿勢とは ?

①その積極性において

「そうすれば、私はそれを終わりまで守りましょう。33節c/私はあなたのみおしえを守り、心を尽くしてそれを守ります。34節b/私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。35節/私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾かないようにしてください。36節/あなたの道に私を生かしてください。37節b」との祈りに見る在り方→主の言われる良い地─ルカ8章15節詳訳「正しい〈 気高い、潔い 〉心で、これをしっかりと保ち、忍耐をもって、着実に実を結ばせる・・・」、語られるところには従おうとする、従うつもりの《 主に明け渡された者 》の姿勢である。

②その消極性において

祈りの中で、聖霊により肉の事実に気付かされた時、その事実に痛み悲しみ、「あなたを恐れるようにしてください。38節b」と祈る者の姿勢である。

自らの肉【ガラテヤ5章19節~21節】を満足させることに関心がある限り、適わない祈りであるから。

「戒めを慕ってい」る彼は、「不正(不当)な利得(利己的なこと=現代訳)に傾かないように・・・。36節b/むなしいものを見ないように私の目をそらせ(神さまのご計画以外のものに目移りさせないで・・・リビングバイブル訳)、37節/神さまに従うが故に被るそしりを恐れる嫌いがある。39節リビングバイブル訳」との祈りに暗示されている肉の事実を見つつも、「おきての道を」選択するために、この傾向性からいち早く飛び退く姿勢である。


※あなたのことばを、あなたの僕に果た・・・38節」して頂くことを喜ぶ者でありたい。



この記事へのコメント

  • 聖い心を求める祈りですね。心を捧げる作者にイエスさまが手を差し伸べる姿が見えるようです♪
    2012年04月08日 02:02