「主よ。あなたのおきての道を私に教えてください。そうすれば、私はそれを終わりまで守りましょう。33節」
作者の「あなたのおきての道を・・・教えてください。33節/与えて下さい。34節」とは、「戒めを慕ってい・・・40節」る者の祈りであるが、その者の実際的な姿勢とは ?
①その積極性において
「そうすれば、私はそれを終わりまで守りましょう。33節c/私はあなたのみおしえを守り、心を尽くしてそれを守ります。34節b/私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。35節/私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾かないようにしてください。36節/あなたの道に私を生かしてください。37節b」との祈りに見る在り方→主の言われる良い地─ルカ8章15節詳訳「正しい〈 気高い、潔い 〉心で、これをしっかりと保ち、忍耐をもって、着実に実を結ばせる・・・」、語られるところには従おうとする、従うつもりの《 主に明け渡された者 》の姿勢である。
②その消極性において
祈りの中で、聖霊により肉の事実に気付かされた時、その事実に痛み悲しみ、「あなたを恐れるようにしてください。38節b」と祈る者の姿勢である。
自らの肉【ガラテヤ5章19節~21節】を満足させることに関心がある限り、適わない祈りであるから。
「戒めを慕ってい」る彼は、「不正(不当)な利得(利己的なこと=現代訳)に傾かないように・・・。36節b/むなしいものを見ないように私の目をそらせ(神さまのご計画以外のものに目移りさせないで・・・リビングバイブル訳)、37節/神さまに従うが故に被るそしりを恐れる嫌いがある。39節リビングバイブル訳」との祈りに暗示されている肉の事実を見つつも、「おきての道を」選択するために、この傾向性からいち早く飛び退く姿勢である。
※あなたのことばを、あなたの僕に果た・・・38節」して頂くことを喜ぶ者でありたい。
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