「私のたましいは、ちりに打ち伏しています。あなたのみことばのとおりに私を生かしてください。25節」
何らかの重荷の為に〈 霊的健康を損ねて心萎えた 〉作者は、「私を生かしてください。 25節c/私を堅くささえてください(立ち直らせてください=新共同訳)。28節b/私をあわれんで(恵んで=現代訳)ください。29節c」と、霊的回復を求めて主の聖前に出ているが《 祈りに彼の信仰の姿勢 》を学びたい。
①「あなたのみことばのとおりに・・・25節b、28節~29節」との約束に立っての祈り。
この「とおりに」とは、「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。詩篇23篇3節/主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、詩篇19篇 7節」との約束であり、「たましい」の回復は主の御心の願うところである。
②「私は私の道を申し上げました。26節」との正直な告白をもっての祈り。
洗いざらい告白する「私の道」についての祈りには、「私から偽りの道を取り除いてください。29節a《 私のうちに傷のついた道(迷いの道=新共同訳/神への不忠実さ)があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。詩篇139篇24節に同様であるが 》」との謙虚さをもってであることに留意したい。
③知れる限りにおいては、「私は真実(信仰=新共同訳)の道を選び取り、あなたのさばきを私の前に置きました。30節/私は、あなたのさとしを堅く守り(すがり付き=新共同訳)ます。31節a/私はあなたの仰せの道を走ります(歩くという場合より、肉体的にも、霊的にも生半可ではない打ち込み方、その強烈な様子を伝えたいとの思いが・・・)。 32節a」との内的納得・動機の純潔に裏付けされた生活をもっての祈り。
※「あなたのさばき、さとし、仰せ」と、みことばとの密着した生活に留意していた作者の霊的営みに肖りたい !
この記事へのコメント
メッセージを拝読して。
もっと、一人よがりにならず、現代日本社会で理解しやすいメッセージをするべき。
イエスさまは、ひとりひとりの心に触れた。決して信念を曲げることはしなかったが、無学な世慣れしたアウトローが彼のメッセージに惹きつけられた。彼の言葉は老若男女を問わず、十字架の購いによって永遠の希望の言葉となった。
牧師が老齢なのだろうか。
そうでないなら、もう少し、現代人の心を掴む訓練をした方がよい。
内輪で自己陶酔するなら別だが、非常に分かりずらい。活力のある言葉を伝える努力が必要だ。
各国の名牧師から学ぶか、モーセのように、語るのが不得手と認めて、引退することをお薦めする。