聖日礼拝『ヨハネの福音書』より 44

礼拝《 待降節Ⅲ 》 ヨハネの福音書12章37~43節  先週は、主の※46節 「わたしは光として世に来ました」との証言は《 主のご降誕の意義を考えるのに、如何に的確な表現 》だったかを学んだ。それは既に冒頭、ヨハネによって明かされていたことであり、この証言をもって主が群衆との会話を終えられて「身を隠され」たことから。 ⅰ 何故主は、ご自身を「光として」と言われた…

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聖日礼拝『ヨハネの福音書』より 43

礼拝《 待降節Ⅱ 》 ヨハネの福音書12章27~36、44~50節  先週は、クリスマス礼拝に向けて《 待降節 》の初めに、主のご降誕の意義が凝縮された聖句の一つ、24節 「しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます」を味わった。ユダヤ教改宗者のギリシア人たちが主に面会を求めて来た動きを契機に、※23節 「人の子が栄光を受ける時が来ました」と、黙示録5章9~14…

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聖日礼拝『ヨハネの福音書』より 42

礼拝《 待降節Ⅰ 》 ヨハネの福音書12章20~28節  先週、いよいよ受難週初めの《 エルサレム入京 》に臨まれた主は、13節の熱狂的歓迎振りで迎えられたが、ご自身の装い【14節a 「ろばの子」にまたがっての行進】をもって、その彼らにメッセージを発信されたところに学んだ。  ろばによったのは平和を意味する乗り物故、馬は戦いの軍馬として用いられていることから、ヨハネは…

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